湯河原老人ホーム施設長ブログ

死について

nekutai(父のネクタイです。)

死という現象について考える機会は、仕事柄多いと日々感じています。
「死とは?」と問われたとき、あなたならどう答えますか? 死とはなんでしょう?

同じひとりの人間の「死」は、個々によって受け取り方や感じ方が、大きく違うといわれます。
それは、亡くなった方との過ごし方や、関係性が大きく関係しているからかもしれません。
私は、父の死から、私なりに学んだことがあります。

病院のベッドで最後に交わした言葉と、流した涙……。
父が亡くなった今も、その記憶は私の中で、生き続けています。

父との時間は、限られているんだ……とわかっていたものの、最後の瞬間に、私は父の傍らで泣き崩れました。
しかし、限られている時間の冷酷さを知っていたのは、父のほうだったのかもしれません。

亡くなるひと月ほど前に、父と息子と3人で食事に行ったときのシーンは、今でもよく覚えています。
父のまなざしは、包み込むような優しさにあふれていました。
穏やかな時間の中で、父は何かを悟り、何かを覚悟していたのでしょうか。
思ったより早くやってきそうな死に、理不尽さを感じ、押しつぶされそうな感情の中で、
私たちに安らぎを与えようと、父はその懐の深さで温かく包んでくれたように思えるのです。


入院しているときの父をとおして……
いえ意識がなくなった後の父との関わりから、学ばせていただいたことがあります。
単純なことかもしれませんが、ずっと目を閉じたままの状態であっても、父は父であり、
人間は人間であるということです。 かけがえのない存在なのです。

「お体を拭くのに使って下さい」と、看護師さんから温かいタオルを渡されました。
父の手は、浮腫みがあっても、父の手であり、目を開けずとも父の顔でした。
幼い頃つないだ、大きくて温かい父の手です。 そこには、あきらかに「生」がありました。

それから幾何の時間が過ぎ、私は父の死を受け入れ、前に進むことができるようになりました。
それは、お世話になった病院のみなさまの心づかいが、あったからだと思っています。
担当医の先生、看護師さんたちが総勢で、父本人のみならず、残されてしまうことになる“はずの”
私たちにも、温かな目を向けてくださっていたように思えるのです。
病院で経験した時間は、今の私にとって、辛さや痛みを超えた貴重な時間だったと感じます。

……あなたにとって「死とは」何ですか?

私にとっての死……それは「家族の心の中に 残り続けるもの」です。
だからこそ、一日いちにちを……一時ひとときが大切であると、思うようになれるのでないでしょうか。

そういえば、「人は二度死ぬ」といったのは福田恆存でした。
一度目は本人が亡くなったとき……二度目はその人を知っている人のすべてが亡くなったとき。
誰かが覚えている限り、その人はこの世に生き続けている。

私には、恆存の言葉が 今 よくわかります。

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