夏の高校野球のシーズンとなりました。
連日の猛暑のなか、高校球児たちが闘う姿は、さまざまな年代の多くの人々に、
感動を与えているのではないでしょうか ?
先日、NHKの番組で、阿久 悠さんの 『 甲子園の詩 』 が、紹介されていました。
その詩は、包み込むような温かさを感じられる言葉が並んでいました。
まるで、隣で寄り添って、心を汲み取っていたかのような “ 近さ ” を感じます。
実際、その詩の主人公となっていた球児たちも、20年以上経った今、
あの時の、あの詩を大切にしていました。
実際に会った事もなく、画面を通して知り、紙面を通して伝えた言葉。
ずっと心に残っているのは、真剣に向き合い、丁寧に発した “ 心ある ” 言葉だからなのでしょうか ?
今、ここまで近づき ・ 重みのあるメッセージを残せる大人がどのくらいいるのでしょうか ?
行き先を見失いそうになっている若者に、エールを送り、灯りをともせる大人……
道標となれる人間がどのくらい、存在するのでしょうか ?
家族でありながら、関係性は疎遠であったり……
人生の先輩でありながら、育てることをせず、冷酷に突き放したり……
人々の関係性は、いつからか、どこか歪になってしまったような気がします。
生き抜く術が、 “ 自己防衛 ” しか無かったのかもしれません。
親も子も、上司も部下も……自分を保つための術が、自分を正当化するだけ、
他には、見つけられなかった結果なのかもしれません。
「最近の若者は……」などと、いつの時代も耳にしますが、
それは、私たち大人が残した結果。
灯りをともすどころか……身勝手に自分の周りだけを灯した結果が、
「 最近の若い子 」 を創り出してしまったのかもしれません。
そして、将来の灯りを消しつつある。
自分に向き合うことに懸命になり、他者との向き合い方がわからないのです。