浜辺の診療室から

症状と社会からのアシスト   認知症をめぐって(その6)

ひとり暮らしをする高齢者にとって、

今日が何年の何月何日であるとわからなくても、大した支障はないでしょう。
けれども今日が、ゴミ出しの火曜日だとわからないと、

ゴミは捨てられず部屋に留まったままになる。
そこには情報という要素が欠けているだけで、抑制系のシステムは介在していません。

 

だから誰かが、「 今日は火曜日です。ゴミ出しの日です 」 と教えてあげれば、

社会のなかで生きることができます。

健忘という現象は、社会としてアシストしやすいのです。

 

一方、「 もう……おばあさん。わたしたちの意見を、どうして聞いてくれないの 」

「 おじいちゃん ! だから、さっきから何度もいっているように、それはダメなんだよ ! 」

と家族からいわれてしまう高齢者。

コミュニケーションが保てない理由は、「 保続 」にあったり、「 迂遠 」にあったりします。

抑制系システムがおろそかになっているから、ひとつのことにこだわり続け、

まとまらない話になってしまう。

家族にとってはお手上げ状態になるから、高齢者は立ち往生するしかないのです。

 

生きることが難しくなってしまった理由が、おろそかになった抑制系にある場合、

社会としてはアシストしにくいことがわかります。

 

 

それなら、“ 社会 ” を規定している枠を、変えてしまってはどうか。

家という親族が集まる社会から、親族 「 以外 」 の人たちが集う社会に身を置いてみてはどうか。

措置入院というかたちでなくとも、救急搬送され、

脱水症、骨折、心不全、呼吸不全、誤嚥性肺炎などにより入院となった例で、

退院後は別の生活空間で暮らしたほうがよいと思われるケースがあります。

 

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