
閑話 身を引くとき 老いあれこれ(その1)
老いについての公開講座が、シーサイドで行われた。
実施に先立ち、“老い”を考えてみたことがある。
ふと浮かんだのは、国際線を飛ぶ熟年パイロットの顔。
ある齢になれば、かれも操縦士を辞めることになる。
体力低下とか、集中力低下と、危険回避力低下などの理由を
いくつもいくつも並べられて――ならいいけれど、
精勤とか、社友といった文字が刻まれた辞令を一枚、
受け取るだけなのだろう。
職場を去る日に立派な花束をもらえば、
これからはもう、操縦桿を握ることもないと、かれは思う。
このところ速く走れなくなった、に始まり、
風邪をひきやすくなったとか、疲れが長引くようになったとか、
ケガが治りにくくなったとか、……。
わたしたちが老いを感ずるときは、さまざまあるが、
第一線から身を引くとき、引かざるを得ないと決まったときは、
老いを実感する第一歩かもしれない。
自分はまだやれるといった自信があっても、
身を引く「とき」は、決まりごとのように「ある」ことを知る。
自分ではどうにもできない壁を知ったとき、
その壁と、“老い”とが重なる。

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