浜辺の診療室から

閑話   高齢者における関係性    老いあれこれ(その4)

sinnbunn
そこまでなら許していいという関係がある。
そこから一歩踏み込まれる行為は許さない、といった関係ともいえる。
「そこ」を決めているのは、
こちらとあちらの距離であり、立ち位置である。 
 
関係とは、二者があってはじめて成立する。
その二者は、人間同士に限らない。
たとえば独居老人。
民生委員や行政が訪ねていくとき、声掛けは許されるだろう。
けれども、電気のメーターは動いているのに、声がしないとき。
実際に訪れた人は、このまま帰ってしまっていいものか躊躇する。
確認しなかったがために、孤立死を招いたといったニュースが
幾度となく流れてきたからだ。

押し込まれた新聞が、新聞受けに溜まっているような場合、
つまり、ただならぬことが起こっているかもしれない客観的事実があるなら、
逡巡はあっても、次の一歩は踏み出しやすい。 

訪れた人がウエダさんだったり、イノウエさんだったとしても、
民生委員のウエダさんは、背負っている地域社会を意識するから、躊躇する。
役所で働いているイノウエさんは、背負っている行政の看板を意識するからこそ、
逡巡する。
独居老人と向き合おうとしている人は、
ウエダさんやイノウエさんという一個人というより、
地域社会を担う委員であり、行政に携わる職員である。
独居老人が持つべきは、地域や行政との「関係」だと
ウエダさんもイノウエさんも信じている。 
 
ともあれ高齢社会を、自分たちの町の問題と考えていく行為には、
高齢者が営んでいる生活空間との関係をどう築くかについて
考えていく行為が含まれる。
akushu

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