浜辺の診療室から

生きる自由     老いびとのこころ(その8 終わり)

人は、誰かの目が届かない空間に置かれると、
糸が切れた凧のように、
ふわりふわりと浮遊する存在になってしまうのだろうか。 
 
ひとり暮らしをして、誰とも交わらない生活を送っていると、
テレビの前に座る場所ができるようになり、
日常生活を送る上での“備品”が
その周辺に置かれるようになる。
手を伸ばせば取れる位置に、あれが置かれ、これも置かれ、
そのうち、あれが埋もれ、これも埋もれていく。 
 
ひとりで暮らす高齢者の孤独は重たい。
けれども、すべての高齢者を救うことはできない。
いや、す・べ・ての高齢者を「救う」必要はないのだろうと、
このごろ思う。
それは、自分が死に近づいたとき何をして欲しいかといった
終末期医療への要望をみればわかることだ。  
 
生き方も老いも、すべては肯定があるだけで否定はない。
押しつけられたと思うのなら、それらを拒否することで
自分の生を肯定し、自由をまっとうすればいい。
人には、それぞれの“生”を生きる自由がある。
そう生きねばならないといった事由もあるだろう。 
 
わたしたちは、それぞれが抱えた事情と事実をすべからく肯定し、
黙って手を差し伸べることができればいいのではないか。 
 
それによって救われたと感ずる人がいたとするなら、
差し伸べられた手を梃子に、自らが立ち直ったのだろう。
そう、……医療を梃子に、病を克服する者のように。
ki9/7/31

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