浜辺の診療室から

動きが少なくなった人     死と向き合うこころ(その2)

施設や病院に入った高齢者たちに対し、
日常のケアをとおして安穏な日々を提供しようと、スタッフたちは考えている。
その高齢者たちは、諸臓器の機能が低下していたり、
脳という臓器の機能低下による認知症があったりする。 
 
もはや徘徊せず、感情の乱れもなく、辻褄が合わないことばを発することさえなく、
臥床時間が増えて“動きが少なくなった人”に移行したとき、
わたしたちは、その人を、どのような目でみているだろう。
とうに栄養を受けつけず、自らの筋肉と脂肪を燃やしながら生きている人。
脳の荒廃により、思惟することが難しくなった人。
それにより、基本情動や原始情動のままに生きている人。
……いずれも、誤りとはいえないだろう。  
 
 
ケアする総量は、自立度と反比例すると考えている人が多い。
自立していればいるほど、ケアを必要としないからだ。
だからこそ、要介護・要支援・いずれも不要といった分類ができるのだろう。
けれども徘徊もなく、感情失禁もなく、多くを語らなくなった人は、
転倒するリスクが減り、ケアする側とて、ムッとすることばを聞かずにすむ。
ケアする総量が減ったから、従来より“手”がかからなくなったと、
現場はホッと胸をなでおろす。 
 
考えてみると、これは奇妙なことだ。
ケアする総量が少なくてすむ人というのは、自立度が高い人のことではなかったか。
いや、終末期といっても手はかかるのですよ、とスタッフは反論するだろうか。
栄養供給源を取り替え、寝返りすることを人為的に補助する。
体を洗う介助もするし、排泄管理もある――。
だからケアする総量は、少しも減ってはいないですよと、

スタッフはいうだろうか。


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