浜辺の診療室から

見えない部分にある世界     死と向き合うこころ(その6)

昭和619月、当時のNHK教育テレビ「こころの時代」において、
上田三四二さんは「死を受け容れる」というタイトルで、
宗教学者・脇本平也さんと対談している。 
 
そのなかに、悪性黒色腫で亡くなった宗教学者・岸本英夫さんの話が出てくる。
岸本さんも上田さんも「理科の人間」だと、脇本さんから紹介されるのだが、
ふたりが共通して口にしていた「死後はない。来世などない」とする考えは、
理科的つまり近代科学的なものの考えに根ざしているのでは、と
脇本さんから指摘される。
理科、文科という分けかたを好まない人もいるだろうが、
昔はそうしたいいかたをよくした。
 
 だが、「死後はない」としていた上田さんの考えは、
晩年に大きく変わっていった。
理科の人間としての発想力だろうか。上田さんはこう語っている。
「電波、赤外線、可視光線、紫外線、エックス線、ガンマ線、宇宙線というのは、
同じ性質の電磁波なんですね。その可視光線の部分だけが見えるわけなんです」 
 
波長を赤色の外に移して赤外線という長い波長に同調せしめるとき、
そこにあらわれるのが腐敗する身体、廃棄された身体としての黄泉的な死後世界であり、
逆に紫色の外側、紫外線という短い波長に同調せしめるとき、
廃棄された身体の眺めは透過されて浄土的死後世界があらわれる。
両者は異なったものではなく、対立するものでもない。
認識の手段に相違があるだけだ。
『死に臨む態度』(春秋社版 1993年)から 
 
生前 ⇒生 ⇒死後と移り行くだけで、そこに絶対的な差異はない。
可視光線という限られた波長によって提供された「いま見えている」世界で、
わたしたちは、見えるものしか信じないような生きかたをとおして、
“生”を体感しているに過ぎないのだろう、と上田さんはいった。
微々たる波長のちがいによって切り取られた世界がすべてだと
信じてしまうことの危うさを、上田さんは痛烈に批判しているようにも読める。
kasikousenn2 /8/15

<< 苦痛 慰し 救い 感謝     死と向き合うこころ(その7)   生命のゆくえ     死と向き合うこころ(その5) >>

お電話番号でのお問い合わせ 0465-64-1700 メールでのお問い合わせ

お問い合わせ・資料請求