浜辺の診療室から

苦痛の上に浮かぶもの     死と向き合うこころ(その16)

suki
詩に投影され、刻印され、ぶつけられているものは何だろう。
これを「苦痛」ということばで表現してしまうことに、
わたしは少なからぬ違和感を覚える。 
 
苦痛に代えて、死への構え、割り切った死への視線、
さらには生きることへの賛歌などと表現してしまっては、
それ以上に違和感がある。
いったいこれは、主訴だろうか?
疼痛緩和や苦痛緩和というときの「苦痛」とは、異質のものではないか。 

病者が肉体的、精神的苦痛を味わい、
終息しない強烈な打撃を受けているのはたしからしい。
しかしそこから浮かび上がってくるものは、
あたかも脳神経細胞・ネットワークの上に、ふわり浮遊してくる“意識”のように、
苦痛の上に浮かんでいる「何ものか」ではないか。 
 
その何ものかを病者は感じ、味わい、追い求め、
そしてときにその何ものかに追いかけられるのではないか。
病者は苦痛をみつめていない。
みつめているのはむしろ、
苦痛を抱えこむことになった自分そのものであり、
自分を取り囲んでいる周囲である。 
 
病者が向き合っている“何ものか”は、
こころを耕す「すき」のようなものであり、
苦痛・寒暖・快不快・悲哀・歓喜・静寂・騒音・美醜・善悪・真贋など
もろもろの心理現象を増幅させる効果を持つものらしい。

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