浜辺の診療室から

融合する2つのベクトル     死と向き合うこころ(その17)

“何ものか”は、
病者がもともと持っているもののとらえ方、感じ方、考え方を
増幅する効果を示すらしいが、
その色合いは非人為的であり、牧歌的であり、
外に向かって発散されている。いわば、外向きのベクトルである。
 
 一方で、眼を据えて何かをみつめ、
真摯さを呼び込み、しなうこころを失うまいと決意させ、
に貴重なものの数々を教えてくれたといわしめる力も持っている。
これは前者とは別に、ひたすら自己の内面に向かっているから、
内向きのベクトルといえる。
正反対にもみえる2つのベクトルは、互いに立脚しあって融合しているのであって、
少しも矛盾してはいない。 
 
こうしたベクトルの存在を知ったとき、
わたしたちはたしかに表現された内容を理解できるし、違和感もない。
けれども、生きていく上では無防備すぎると感じてしまう。 
 
だとすれば、わたしたちが持っているベクトルは、
病者のそれと同じ方向を向いてはいるものの、
そのサイズは極めて小さく、
あるいは限りなくゼロに近い状態にあるのだろう。
それは、細川さんがいみじくも記した
「健康な頃の僕の生活は今から考えると、
いわば平面的空間の中の生活であった」
との表現から、うかがい知ることができる。
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