浜辺の診療室から

垂直的振動から生まれる慈しみ     死と向き合うこころ(その18 終わり)

医療や介護が、細川さんのいう“平面的空間”側にあるのだとすれば、
医療や介護をもって、垂直的振動に揺れている病者と交流することはできない。
なぜなら死と向き合うことになった病者は、
健常人にはワカラナイ、異なる次元の世界に移行しているためだ。
ちょうど可視光線の世界から、紫外線の世界や赤外線の世界がみえないように……。  
 
 
死と向き合っている状態では、垂直的振動が普遍的に生じている。
病者は無垢の世界との交流を開始し、脱煩悩化さえ起きているらしい。
こうした認識を忘れてしまうと、現場は混乱するだろう。
混乱が予想される場は、病者を取り巻く医療・介護現場であり、
また病者を見守る家族・親族たちである。 
 
ともあれ“混乱”は、病者にとっても、ケアにあたる人や家族にとっても、不幸である。
いずれが不幸かといえば、ケアする側のスタッフや家族だろう。
垂直的振動によって、ことの真贋を見ぬかれてしまうからである。
幾許かの時間が流れたいま……なるほど、と思う。
人の姿を前にして、怒りでも悲しみでもなく、
慈しみにも似た目をした老いびとと、わたしたちは
――いや少なくともわたしは、何度か出会ってきた。
その都度、真贋を見抜かれていたのだろうといった思いを禁じ得ない。 

死に瀕する者は苦痛をみつめているのでなく、
まして医療や介護福祉をみつめているのでもなく、
ひたすら……ただひたすら自分そのものと、
自分の周囲をみつめているら・し・いことを、
わたしたちは自覚していればよいのだろう。 
 
死に対しても、老いに対しても、認知症に対しても、
わたしたちは常に、平面的空間で暮らす者でしかない。
そのことを肝に銘じておきたいと、わたしはいま改めて思う。 
 
追補)
「死と向き合うこころ」の最後3つ(№161718)は、1995年に上梓した拙書から引用改変した。
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