浜辺の診療室から

閑話  ブレない姿勢(介護職場の課題 その2)

冷酷無比のように映る審判であればあるほど、
じつは、ほんのりとしたやさしさとあたたかさを隠し持っている。
脚光を浴びようとは決してしない。
審判・林さんの信念は、
かつてアマチュア審判員の重鎮という人物からいわれたことばにある。
「失敗してもいい。でも、同じ失敗を繰り返してはいけない。
本当の名審判というのは、名前を覚えられないものだからね」 
 
黒子に徹する姿勢と、厳しさと、やさしさは同居する。
死闘がゲーム・セットとなったとき、
勝者豊田大谷に渡るべきウイニングボールは、
マウンドに立つ藤田さんの手にあった。
敗戦投手となった藤田さんは、そのボールを審判に渡そうとした。
当然のことだ。
けれども審判は受け取らなかった。
「持っておきなさい。そして来年、また甲子園に来なさい」と告げ、
勝った豊田大谷には、ポケットから出した試合球を手渡したという。
 
 名審判・林清一さんとは、どんな人物か。『現代ビジネス』ネットに経歴があった。 
 
  小学5年の時に、友人らと「調布リトルリーグ」を結成。
  6年時には近隣4市の選抜チームで全国優勝を達成。
  同年、米国で行われた世界大会でも優勝。
  早稲田実業高校に進学し、投手として活躍。2年春には関東大会で優勝。
  3年夏はエースとして期待されるも、肩を故障し、外野手として出場。
  都大会決勝で敗れ、甲子園出場はかなわなかった。
  早稲田大学、大昭和製紙では打撃投手、マネジャーとしてチームを支えた。
  31 歳で父親が経営する林建設に入社後、知人からの依頼で審判員を務める。
  東京六大学野球リーグ、高校野球、社会人野球と、27年間にわたる審判員生活で
  約 1200試合を裁いた。 
 
栄光と挫折を味わったひとである。
しかし林清一さんに皆が惹かれるのは、美談のためだけではない。
常にニュートラルであれという、ブレない姿勢にある。
投げず、あきらめず、これでもかこれでもかと辛酸をなめたのちの、
ほんのりとしたやさしさとあたたかさが、傷あとに宿っている。

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