浜辺の診療室から

虚空 風の音 戯れ 災いと福    本日休診その3-①

臨終に向けた特集本のなかに、こんな記述があった。
「いろいろあったが、死んでみりゃあ、なんてこった。
じめから居なかったのとおんなじじゃないかみなの衆」
 
 
「臨終の人間『ああ、神も仏も無いものか?』
神仏『無い』」
「また臨終の人間『いま神仏が無いといったのはだれだ』
答無し。――暗い虚空に、ただぼうぼうと風の音」 

書いたのは作家山田風太郎。生まれは1922年。
臨終後は虚空(何もない空間)だとする死生観は、
詩人天野忠の詩にもみられるし、白洲次郎の遺書とも重なる。
白洲が遺書に「葬式無用 戒名不用」と記したのは有名な話。
ちなみに白洲次郎は1902年生まれ。 
 
一方、戯れ去り戯れ来る 自ずから真ありという福沢諭吉のことばを紹介しているのは、
中国現代史家であり元慶応義塾塾長を務めた石川忠雄。生まれは山田と同じ1922年。
定説的な解釈はないと注釈した上で、石川は福沢のことばをこう披露している。
  宇宙から見れば、人間は小さな存在でしかないし、
  人類の歴史から見れば、自分のやってきたことは、そのほんのひとコマであり、
  いわば戯れみたいなものでしかない。
  しかしその戯れみたいなことを真剣にやることの中に真実があるのではないか。 

そして石川は、次のように続ける。
 人生にとって何が良くて何が悪かったかは、死ぬときにならなければわからない。 
 自分にとって良いと思われることが起こったときに喜ぶのは結構であるが、
 そのことがまた災いをもたらす原因になるかもしれない。
 逆に災いと思われたことが福に転ずる場合もある。
 結局はその時その時、精一杯に生きるほかはない。
 死はその後にやってくるだけである――。 
 
山田風太郎も石川忠雄も白洲次郎も、
自分が置かれた場で時代を駆け、大きな功績を遺した。
 yamadahuutarou

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